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西欧諸国

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 西欧諸国という言葉をネットで検索すると、イギリス、フランス、ドイツを指すと最初に出てきます(wikipediaなど)。その上で、その周辺も含むこともあるとも書かれています。 それらによると欧州は北、中央、西、南 、南東、南西、東などと分けるようです。 しかしながら、一般的には北、中央、東、西くらいの呼称が一般的でしょうね。 西欧というと代表的なのは位置的にも イギリス、フランス、ドイツ、イタリアあたりをイメージしがちです。 (イギリスとイタリアは位置的に半々な感じもありますが、、、) よくあるカテゴライズを見てみると、 西欧はフランス、ドイツ付近となっていて、 イギリスを北欧扱い、イタリアを南欧扱いとするものもあります。 フランス、ドイツ付近とするとフランス、ドイツにはさまれているオランダ、ベルギーやドイツの南側のスイス、オーストリアあたりを含みます。 オーストリアあたりを中欧とする分け方もあります。 (雑記)夫婦同姓 ちなみにイギリス、ドイツ、フランスは同姓婚の風習が古くからあります。 近代化の際にフランスは改姓禁止を打ち出したましたが、妻の夫姓の使用を認めています。 日本の民法もフランスを手本としていたため、民法施行前にも婚姻を別氏にしようとしていましたが、風習を合わずに夫婦同姓を制度化しました。フランスも日本も似たような変遷を通っています。ドイツ、スイス、オーストリアなどは法律でも同姓婚が規定されていたほどです。 欧州の夫婦同姓はキリスト教の影響も言われていますが、昨今ではそこまで強い意識はないようです。聖書の二人を一つの肉とするという文言により名前も一緒にするという人が古来多かったようです。しかしながら最近の解釈では聖書が出来た際には姓がなかったので気にしないという人も増えているようです。 ※封建的だったので夫の名を名乗るという風習は古くからあるのでしょうね。今も家族姓は夫姓という国は少なくありません。日本はもともと婿入りもあったので家族姓を男女どちらの姓でもというのは比較的受け入れやすかったのでしょうね。

明治以前の婚姻

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 明治になり夫婦別氏制度を政府が敢行しても庶民は同姓を名乗り続けたと言います。そのため、明治民法制定の際には大胆な変更がされました。世情に合わせて夫婦同姓が制度化されたのです。 それ以前には夫婦同姓だったと言います。当時の人たちを少しひも解いてみればよくわかります。 たとえば、当時で言えばとても有名な坂本龍馬氏はどうであったのか。   龍馬の父は山本家から坂本家へ婿養子として出ています(1812年頃)。 山本家も坂本家も夫婦同姓です。 その息子の龍馬ももちろん夫婦同姓です。 楢崎家の龍子を嫁としています(1865年)。 龍馬の兄弟も夫婦同姓でした。 勝海舟もそうです。 明治維新の三傑と呼ばれる大久保利通氏、西郷隆盛氏、木戸孝允氏らも夫婦同姓でした。 さらに以前では、 龍馬の曾祖父の山本信敬(1718年生)は宮地家から婿養子として山本家へ来ています。  明治以前から夫婦同姓が文化風習とされていたことがよくわかります。 それゆえに明治初期に政府が別氏としようとしても民衆が受け入れなかったのです。  

戸籍

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日本の名前に関する制度の変遷

名前の制度変遷 1870年9月19日 明治3年太政官布告第六〇八号 平民苗字許可令 (平民氏使用許可) 1872年5月7日 明治5年太政官布告一四七号 複名禁止令  (一人一名主義の徹底) 1872年8月24日 明治5年太政官布告二三五号 改名禁止令(戸籍名変更や屋号改称を禁止) 1875年2月13日  明治8年太政官布告第二二号 平民苗字必称義務令(氏使用義務化) 1876年 1月27日  明治9年太政官布告五号  改名禁止を緩和 1876年3月17日 明治9年太政官指令(夫婦別氏制度導入) 1898年(明治31年)明治民法施行 (一家一氏の原則) 同姓婚へ  1942年(昭和22年)民法改正(家制度廃止、夫婦はどちらかの姓を名乗れる) 1976年(昭和51年)民法改正(婚氏統称制度) 苗字 日本は明治になり、それまで複数持つこともあった氏や苗字などを整理しはじめます。 江戸時代には名字を苗字とし、平民に名乗ることを一時的に禁じていました。 しかしながら、庶民はそれまで使っていた名字などを使います。 使えないことは生活上物凄く不便だからです。 もっと古く遡ると、古事記の頃では名前だけだったとされています。 その後、平安以前は貴族や豪族には姓を庶民には部が与えられています。 (部も所属を表すもので名字のようなものです) その中でも姓を細分化して血族で氏を名乗っています。 その頃に有名な姓は八色の姓です。 平安以降で有名なのは源平藤橘と言われる4大氏でしょうね。 役職を意味する氏に加え、家を表す名字ができます。 その頃の公家の妻は夫と同姓で同じ墓に入ったとも言われています。 戦国時代の武将の名前は 氏(うじ)姓(かばね)名字(みょうじ)字(あざな) 諱(いみな) となっており、 以下の意味がありました。 氏(うじ):一族 姓(かばね):身分や地位 名字(みょうじ):家 字(あざな):個人通称 諱(いみな):本名 よく例に出やすい織田信長が以下です。 (氏)平(姓)朝臣(名字)織田(字)三郎(諱)信長 ここにある諱である本名を呼ぶことは失礼にあたるので 実際には呼ばることはありません。 呼ぶのは親や夫婦などの極親しい間柄のみです。 名字とはその頃から家を表すものでした。 日本の文化風習として今も根付いています。 この頃の女性の呼び方は誰の娘、誰の妻と言われることが一般的...

テスト投稿3 ~ 自殺 ~

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 2009年~2018年の死亡数と自殺について よくあるデマとして「変死」を増やして自殺数を減らして発表しているというものがあります。これは本当にデマです。 変死というのは刑法上の分類で検死を必要とするということです。 検死の結果死因を確定します。 どうしてもわからないものを不明としています。 自殺という分類の中で遺書があるものは概ね1/3と言われています。 遺書がなくても状況や検死によって自殺断定されます。 以下は自殺数と不明死数 の10年間の推移です。  厚生労働省発表の人口動態によります。

テスト投稿2 ~  通州事件 ~

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 通州事件 1937年7月27日 通州は1935年から自治政府・冀東防共自治政府が統治していた。 (冀東は日本の傀儡政権とも言われている) 1937年7月28日夜半、天津と通州で同時に攻撃された。 (攻撃は29日午前2時頃から開始されたとされる) この攻撃は事前に計画されていていた。 天津は日本軍が撃退したが、 通州は日本人遺留地の日本人が大虐殺されることになる。 この頃、蒋介石によるデマ放送が繰り返されていた。 計画的に同時攻撃を行ったものと見るのが通説であり、 事前に計画していなければ実行できていない。 ネットでは誤爆報復説もあるが、それは事実ではない。 なぜなら、それ以前より計画されていたからである。 誤爆事件は7/27であり、すぐに手打ちになった案件である。 この事件の前に不穏な情報を得ていたため、 増員した兵らは逆に敵側の兵だった。 そのため、通州ではいとも簡単に虐殺が行われた。 そして、これを首謀した張慶余は逃げ、 その後、許し難いことに中将まで出世する。

テスト投稿 ~ 竹島(1) ~

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 1952年 竹島侵略 李承晩が一方的に国境ラインを変更し竹島を侵略した。アメリカが示すマッカーサーラインと異なり島を暴力により侵略した。 1965年 日韓基本条約  目を背け不服そうに握手する佐藤栄作総理大臣の表情 日韓基本条約は1949年から日本と韓国での長い話し合いの結果に十数年かけてようやく調印にこぎつけたこじれにこじれた結果の基本条約である。 このとき事前には竹島のことも盛り込まれていたが直前に削ることになる。それは韓国側は自らの命に関わるため竹島問題を分けてほしいと懇願したと言われている。 このときも国内への発表は日本との協議内容とは異なることを発表していた。国内へ嘘の発表をするのは昔から変わっていない。 昨今、韓国側が日韓基本条約は日本優位で結ばれたと嘘を言っている。日本側には多大なる不利不利益ばかりなものを暴力をもとに無理やり強いた形である。