日本の名前に関する制度の変遷
名前の制度変遷
1870年9月19日 明治3年太政官布告第六〇八号 平民苗字許可令 (平民氏使用許可)
1872年5月7日 明治5年太政官布告一四七号 複名禁止令 (一人一名主義の徹底)
1872年8月24日 明治5年太政官布告二三五号 改名禁止令(戸籍名変更や屋号改称を禁止)
1875年2月13日 明治8年太政官布告第二二号 平民苗字必称義務令(氏使用義務化)
1876年1月27日 明治9年太政官布告五号 改名禁止を緩和
1876年3月17日 明治9年太政官指令(夫婦別氏制度導入)
1898年(明治31年)明治民法施行 (一家一氏の原則) 同姓婚へ
1942年(昭和22年)民法改正(家制度廃止、夫婦はどちらかの姓を名乗れる)
1976年(昭和51年)民法改正(婚氏統称制度)
苗字
日本は明治になり、それまで複数持つこともあった氏や苗字などを整理しはじめます。
江戸時代には名字を苗字とし、平民に名乗ることを一時的に禁じていました。しかしながら、庶民はそれまで使っていた名字などを使います。
使えないことは生活上物凄く不便だからです。
もっと古く遡ると、古事記の頃では名前だけだったとされています。
その後、平安以前は貴族や豪族には姓を庶民には部が与えられています。
(部も所属を表すもので名字のようなものです)
その中でも姓を細分化して血族で氏を名乗っています。
その頃に有名な姓は八色の姓です。
平安以降で有名なのは源平藤橘と言われる4大氏でしょうね。
役職を意味する氏に加え、家を表す名字ができます。
その頃の公家の妻は夫と同姓で同じ墓に入ったとも言われています。
戦国時代の武将の名前は
氏(うじ)姓(かばね)名字(みょうじ)字(あざな) 諱(いみな)
となっており、 以下の意味がありました。
氏(うじ):一族
姓(かばね):身分や地位
名字(みょうじ):家
字(あざな):個人通称
諱(いみな):本名
よく例に出やすい織田信長が以下です。
(氏)平(姓)朝臣(名字)織田(字)三郎(諱)信長
ここにある諱である本名を呼ぶことは失礼にあたるので
実際には呼ばることはありません。
呼ぶのは親や夫婦などの極親しい間柄のみです。
名字とはその頃から家を表すものでした。
日本の文化風習として今も根付いています。
この頃の女性の呼び方は誰の娘、誰の妻と言われることが一般的でした。
よく別姓だったのではと言われる北条政子の例では何とも言えません。
それは北条政子が婚姻中に北条を名乗っていたことは不明だからです。
その頃でも同姓であったものもあります。
寺などへ嫁いだ妻などは同姓であったものも残っています。
同じ寺や墓への埋葬も多く残っているので、同姓であったとも取れるものも多いです。
少なくとも明治民法ができる少し前に別姓とした際にも国民は同姓とするものも多く、日本の文化風習を考慮した結果に明治民法では同姓婚としています。
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