テスト投稿2 ~  通州事件 ~

 通州事件 1937年7月27日




通州は1935年から自治政府・冀東防共自治政府が統治していた。
(冀東は日本の傀儡政権とも言われている)


1937年7月28日夜半、天津と通州で同時に攻撃された。
(攻撃は29日午前2時頃から開始されたとされる)
この攻撃は事前に計画されていていた。

天津は日本軍が撃退したが、
通州は日本人遺留地の日本人が大虐殺されることになる。
この頃、蒋介石によるデマ放送が繰り返されていた。

計画的に同時攻撃を行ったものと見るのが通説であり、
事前に計画していなければ実行できていない。

ネットでは誤爆報復説もあるが、それは事実ではない。
なぜなら、それ以前より計画されていたからである。
誤爆事件は7/27であり、すぐに手打ちになった案件である。

この事件の前に不穏な情報を得ていたため、
増員した兵らは逆に敵側の兵だった。
そのため、通州ではいとも簡単に虐殺が行われた。

そして、これを首謀した張慶余は逃げ、
その後、許し難いことに中将まで出世する。

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