夫婦同姓がキリスト教由来とするのは本当か
選択的夫婦別姓を推進する人たちが
キリスト教からの輸入だとする夫婦同姓
これは本当かどうか
現代で言う「夫婦同姓」というものは、昔で言うところの「夫婦同苗字」、
これは多くの名前や歴史の専門家の共通見解です。
夫婦同姓はたかだか100年のものなのか
https://jacksnotebook2.blogspot.com/2021/10/100.html
庶民風習として夫婦同姓(夫婦同苗字)は明治以前からの風習です。
キリスト教由来とする一部の専門家は、
明治20年前後の近代化によるものと示唆します。
明治に姓氏苗字などが統合された中で民法を起草した梅謙次郎氏は
姓氏の方法に従うのはシナの慣習と示し、
実際の慣習にそむくとしている(「民法要義」巻之4(親族編)43頁)
これは姓氏は大陸から持ち込まれたもので、苗字は日本で自然発生したものである
ところからのお話です。
明治10年前後においても庶民の夫婦が夫婦同姓であったことは様々なものから伺える。
明治8~10年の妻の地位
https://jacksnotebook2.blogspot.com/2021/10/blog-post_15.html
幕末から明治初期の女性の名字に関する考察
https://jacksnotebook2.blogspot.com/2021/03/httpwww.html
姓と苗字の違い
https://jacksnotebook2.blogspot.com/2021/09/blog-post_30.html
起草者の話通りに実際の慣習は夫婦同姓(同苗字)であり、
キリスト教の入る余地はありません。
また、当時のフランスやドイツにおいて、
夫婦同姓の法規定はありません。
別姓推進派の人たちはよくドイツからの輸入とも言いますが、
日本の民法草案のほうが先です。
これも史実と異なる話です。
フランスから教えられたことは民法は民衆の習慣から作るものということです。
そのため、日本が李氏朝鮮に対しても同様に地元の慣習から民法を作らせています。
夫婦別姓が慣習の国には夫婦別姓の民法を制定させています。
ドイツから持ち込まれたものは法律の著述方式としてのパンデクテン方式を採用しただけで内容はそれまでの草案と変わっていません。ここでは伊藤博文氏の思惑と起草者たちの思惑は対峙しながらも合理的な著述だけが取り入れられた形になります。
夫婦同姓(同苗字)が自然発生した説の多くは、
苗字自体が共同体を示すものだったというものです。
同じ住まいに暮らす人たちが同じ苗字を取っていたとされます。
町民農民にとって妻は貴重な労働資源であり、男女平等であったともされます。
宗教ではなく便宜上のものとされます。
日本の大多数は神道と仏教を合わせたようなものです。
日本におけるキリスト教は、持ち込まれて470年以上経過していますが、
信者は1.5%程度と言われます(文化庁による宗教調査)。
日本では近代化によって休日として日曜日を設けるようになります。
これは西欧文化からの輸入です。
学校や役場などでの導入により広がっていきます。
個人の感覚としてはすぐには受け入れにくかったともされます。
同様に夫婦同姓(同苗字)を西欧由来とするのは無理があります。
何故なら、近代化以前から存在していた風習だからです。
夫婦同姓(同苗字)が文化風習であるのに
明治初期に夫婦別姓にするか同姓にするかで何故揉めていたのかといいえば、
江戸時代の一部士族の間では苗字と氏を混同していったことが原因です。
本居宣長氏が「それは氏なり」と士族の間違った苗字の在り方を批判しています。
大藤修さんも著書の中で苗字が氏化していったと示しています。
江戸時代での一部士族の苗字の使い方が変わってきたため、
明治に一部士族が議員として力を持ち、自らの使い方を広めようとします。
9割以上の大多数が夫婦同姓(同苗字)の風習がある中、
その一部の力ある議員らの要望により、内務省などの調査は無視されます。
それが別姓指示を出しても国民が混乱し従わなかったことにつながっています。
日本の夫婦同姓(同苗字)はキリスト教とは無縁のものです。
(走り書きにて後で整理する予定です)
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