幕末から明治初期の女性の名字に関する考察
幕末から明治初期の女性の名字に関する考察
法務省
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html
明治3(1870)9/19 太政官布告:平民に氏の使用許可
明治3(1870)11/19太政官指令:名前に国名、旧官名の使用禁止
明治4(1871)4/4 太政官布告:壬申戸籍
明治5(1872)5/7 太政官布告:複名禁止令
明治8(1875)2/13 太政官布告:氏の使用の義務化
明治9(1876)3/17 太政官指令:妻の氏について
明治31(1898)6/21 明治民法施行 (夫婦同氏を規定)
(昭和22(1947)年 民法改正)
(明治9年3月の太政官指令は内務省の見解を覆しての指令だったと言われています)
(明治9年の太政官指令に対して各所で疑問が出て、伺出がいくつも出され続けたとされます)
(実際には夫の氏を称する妻が多かったと法務省も記しています)
実際に、、、
幕末や明治の女性の名字は結婚してどうなっていたのでしょうか?
実際に自らの先祖で家に名字が二つあったかどうかを思えば、
最近の特殊な家庭事情ではあったとしても昔では聞かない者です。
祖父母やその先でも夫婦で違う名字だったという話を聞いたことはありません。
そもそも女性が名字を直接名乗らなさそうですが探してみると名乗っているものもあります。
誰もが知っているような事例がネットにもありそうですので、
幕末から明治に活躍した女性を見てみます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◼︎ 明治以前
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
只野真葛さん(作家、随筆家)
真葛はペンネーム、只野は再婚姓、名は綾子
宝暦13(1763)年 工藤平助の娘として生まれる
寛政9(1797)年 再婚
文政8(1825)年 没
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
梁川紅蘭さん(漢詩人)
文化元(1804)年 稲津長好の次女として生まれた
文政3(1820)年 梁川星巌と結婚
(梁川紅蘭と著したものが多数残っている)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
井関隆子さん(女流歌人、作家)
1785(天明5)年~1844(天保15)年
庄田家から井関家へ嫁ぎ、井関隆子を名乗る
深井秋男さんに発見・命名された井関隆子日記が有名です
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高畠式部さん(志貴婦)(歌人)
1785-1881
名は登美子。式部は雅号である。
高畠清音と再婚して高畠式部(志貴婦)を名乗る
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
松尾多勢子さん
文化8(1811)年 豪農竹村党盈の長女として生まれ
19歳で松尾淳斎に嫁いだ
明治27(1894)年 没
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
税所敦子さん(歌人)
1825(文政8)年ー1900(明治33)年
旧姓林、1844(弘化元)
明治の紫式部と呼ばれた
明治の著書物などでも税所敦子著を確認できる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
広岡浅子さん(女性実業家)
嘉永2(1849)年 10月18日 出水三井家に生まれる
慶応元(1865)年 4月 3日 広岡信五郎と結婚し、広岡浅(子)を名乗る
著書や大同生命などの情報からは
結婚後は嫁ぎ先の広岡を名乗っていたとされる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伊藤八重さん
嘉永元(1848)年 藤野幸として生まれる
慶応 2(1866)年 初代伊藤忠兵衛に嫁ぎ、伊藤八重と名乗る
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伊藤梅子さん(女流歌人)
嘉永元(1848)年 長門国(現山口県)木田久兵衛の長女として生まれる
慶應2(1866)年 伊藤博文の継妻、伊藤梅子となる
(伊藤梅などの表記あり)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
山縣友子さん
庄屋、石川良平の長女友子
慶応 3(1867)年 山縣有朋氏と結婚
明治26(1893)年 病死
(鹿鳴館バザーなどで表記あり)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
安達安子さん(教育者)
天保6(1835)年 加賀金沢藩士の娘、旧姓は山内
安達幸之助の妻、安達幸之助は明治2(1869)年に長州藩らに襲われ即死
大正2年没
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◼︎ 明治初期
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
木戸松子さん
天保14(1843)年 若狭小浜藩士・木崎(生咲)市兵衛の娘として生まれる
明治元(1868)年 木戸孝允公と結婚して木戸松子となる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
井上武子さん
嘉永 3(1850)年 新田義貞の子孫らしい
(外国判事の中井弘氏と結婚するが離婚し、同年に再婚)
明治 2(1869)年 大蔵少輔であった井上馨と再婚、井上武子として、欧州で夫婦で過ごす
(鹿鳴館バザーなどにも参加)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
戸田極子さん
安政4(1858)年 岩倉具視侯爵令嬢
明治4(1871)年 戸田氏共伯爵と結婚して戸田極子と名乗る
(鹿鳴館バザーなどにも参加)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
白井久井さん(教員、婦人活動家)
嘉永2(1849)年 庄内藩家老、酒井了明の娘として生まれる
明治8(1868)年頃 白井重垂氏に嫁いで白井久井と名乗る
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
西村ツルさん
天保12(1841)年 楢崎将作の長女として生まれる
(慶応元(1865)年 坂本龍馬と内祝言を挙げた)
明治8(1875)年 西村松兵衛と再婚する(明治2年説もある)
明治37年(1904)年 没
(明治8年に西村ツルとなっていたことは横須賀市の発表にもある)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
新島八重さん
1875(明治8)年10月 新島襄 と明治8年に婚約、9年結婚、新島八重に
(明治23年 新島襄没)
同志社女子大の資料に直筆のフルネーム署名が多く残っている。
(明治26年のものなどもある)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◼︎ 明治9〜31年
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鈴木よねさん(実業家)
嘉永 5(1852)年 8月 姫路の漆商丹波屋西田忠右衛門の三女として生まれる
(福田家の二男惣七と結婚するも破綻)
明治10(1877)年 鈴木岩治郎と結婚して鈴木よねを名乗る(再婚)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
下田歌子さん(教育者)
嘉永 7(1854)年8月8日 平尾 鉐(ひらお・せき)として生まれる
明治 5(1872)年 女官として宮中に抜擢され、歌子の名を賜る
明治12(1872)年 下田猛雄氏と結婚し、下田歌子を名乗る
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
青木琴水さん(歌人)
安政 3(1856)年 8月10日 白川家に生まれる
(13のときに結婚するが離婚)
明治13(1873)年 青木与助と再婚して青木琴水を名乗る
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鳩山春子(教育者)
文久元(1861)年 信濃国松本藩士の子として生まれる(旧姓多賀)
明治14(1881)年 鳩山和夫と結婚する
(明治20(1887)年、英和対話書(中央堂)を鳩山春として出版している)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
瓜生繁子さん(教育者)
文久 2(1862)年 佐渡奉行属役・益田孝義の四女として生まれる
幕府軍医・永井久太郎(玄栄)の養女となる
明治15(1882)年 瓜生外吉男爵と結婚し瓜生繁子を名乗る
(結婚直後の演奏会や明治の音楽雑誌などにも瓜生の名で出ています)
(明治20年の文部省通達でも)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大山捨松さん(教育者)
安政 7(1860)年 会津藩の国家老・山川尚江重固の末娘として生まれる
(アメリカ留学)
明治16(1883)年 大山巌と結婚して大山捨松となる
(この後、鹿鳴館外交などが行われていた)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
若松賤子さん(作家)
元治元(1864)年 松川勝次郎正義の長女松川甲子として生まれた
明治3(1872)年 横浜の商人大川甚兵衛の養女となる
明治22(1889)年 巌本善治氏と結婚して巌本嘉志子となる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(不明)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中岡かね
野友村庄屋利岡彦次郎の長女として生まれる
安政4(1857)年 中岡慎太郎と結婚する
(墓が妻表記)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
武市富子
文政13(1830)年 高知藩郷士・島村雅風(源次郎)の長女として生まれる
嘉永2(1849)年 武市瑞山に嫁ぐ
慶応元(1865)年 夫が切腹
(墓はあるが、その前が不明)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
陸奥亮子
安政3(1856)年 旗本・金田蔀の妾が生んだ長女として生まれる
(芸者となる)
明治5(1872)年に陸奥宗光の先妻蓮子が亡くなり17歳で後妻となる
(鹿鳴館の華と呼ばれる)
(夫人として表記されている)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
津軽尹子
嘉永元(1849)年に生まれ
明治2(1869)年に結婚
(墓はあるが、その前の名前が確認できない)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コメント
コメントを投稿