明治以前の名字
江戸時代後半の約70年ほど平民が苗字帯刀を禁止されていた。
しかしながら、 名乗っていなかったということではないことは今日では常識になっている。
歴史研究家らはその時期でも私称していたことを認めているし、疑いの余地はないとしている。
坂田聡氏も著書の中で、「江戸時代の一般庶民は果して苗字を持たなかつたか」(洞富雄著)の発表により、相次いで同様の発表があり、豊田武氏「苗字の歴史」も刊行され、近世の庶民が苗字を使用していたことに疑いの余地はないとしている。
大藤修氏の著書にも同様に、洞富雄氏の論考や私文書、寺院・神社などの記載などに庶民の苗字の記載により、江戸時代の苗字苗字帯刀禁止時期を含む近世での庶民の苗字の使用を認めている。
歴史専門家らは、そのときの庶民の風習が夫婦同苗字としている。
坂田聡氏は著書の中で夫婦同苗字は明治からの100年というわけではなく、500~600年前くらいだろうとしている。それはそれで一説と取れるが、更に昔からという説もある。
たとえば後藤みち子氏の「戦国を生きた公家の妻たち」によれば、戦国時代から夫婦別氏にして夫婦同名字であったと示している。 600~700年前くらいとしている。
それらは妻が婚姻後に生家姓を名乗ることがないため、中国などの別姓文化とは一線を画すとの言われるところである。中国では婚姻後の妻が生家の姓を名乗り続けている例が多く存在する。日本では妻が姓を名乗ることも少なく、婚姻後に生家の姓を名乗った史実はあまりない。それらによって夫婦別姓の歴史的史実はないとされる専門家もいる。
少なくとも明治以前にも庶民にも苗字があり、明治以前も夫婦同姓が主流であったであろうことは歴史専門家も認めているところである。
そのため、明治初期に太政官指令で夫婦別姓を出されても従わなかったことが伺える。
(走り書きにて後程修正する予定です)
ーーーー 参考文献 ーーーーーーーーーー
「日本人の姓・苗字・名前 人名に刻まれた歴史」 大藤修 著
「苗字と名前の歴史」坂田聡 著
「戦国を生きた公家の妻たち」後藤みち子 著
ほか
コメント
コメントを投稿